信じてくれない・・・・
これも大学入試の際のエピソードである。
私は前期日程で名古屋大学、後期日程で九州大学を受験したわけであるが、センター試験が終わった段階での判定は前期がB判定、後期がD判定であった。前期にすべてを賭けて勉強したのだが、実際の前期入試での手応えははっきりいって全然なかった。これでもし通るようなことがあれば、それは神様の思し召しとしか考えられないくらい試験の出来は悪かった。
前期試験から数日後、まだ卒業式前だったので学校には行っていた。そこで3年連続私の行ったクラスの担任だったT先生が私にこう聞いた。
先生 「名古屋大の前期どうっだった?」
私 「全然出来ませんでした。」
先生 「そうか、でも出来なかったという人も結構通ってるから、大丈夫なんじゃない。」
私 「・・・」T先生の持論はこうだ。
「試験を受けて解けた、という人は解いたつもりになっていて、その割にはあまり通っていない。逆にダメっだったという人は自分が解けなかった問題がわかっている。つまりそれ以外の問題は全部解けているから案外合格する。」というものだった。しかしその後、前期の不合格通知をレタックスで受け取ったことから、先生の持論に例外を作ることになった。
数日後、後期試験がやってきた。前期とは打って変わってかなり手応えがあった。特に数学の解答などは、「すなわち□□であるので、ゆえに○○であることは明らかである。」などといった。知的な解答を作ることができた。正直これで通らなければもう悔いは無い、来年京大でも東大でも受けてやるぞと思っていた。
試験の翌日、報告のためにもう卒業してしまった高校に足を運んだ。そしてT先生にこう報告した。
私 「先生、後期試験出来ました。これで通らなければ悔いないです。」
先生 「そうか、でも出来たという人は結構落ちてるからなー。」
私 「・・・・」信じてくれない。
家でも、両親に後期試験は出来たこと、多分通っていることを報告した。しかし前期試験に落ちたことで、彼らは私の言葉に耳をかさなくなっていた。そう、
ここでも信じてくれない。
試験から2日後、大丈夫だよ多分通ったという私に対して、両親がとった行動は、私をつれて北九州予備校山口校に入寮できるかなどの下見に訪れることだった。
結局、後期日程の合格通知を手にするまで、先生も両親も多分通ったというのは信じていなかった。
それ以来、彼らにはこちらからも大きな期待や信頼を寄せないようになったのと、信頼を無くした結果の世の中の厳しさを感じたのであった。