高校生クイズ敗退事件

 1991年夏のある朝、広島へ向かう電車の中に私たち3人はいた。途中の駅からは明らかに私たちと同じ目的をもったと見られる3人組の高校生が次々と乗り込んできていた。

 広島駅の正面玄関に出るとまぶしい夏の朝の日差しの中、人混みであふれていた。市電に乗るのにも一苦労であった。そして紙屋町方面の市電に乗った。

 その日は全国高校生クイズ選手権中国地区予選の日であった。会場に着くと広い広い芝の公園の中に、夏祭りのやぐらのようなセットが組まれていた。

 そもそも高校生クイズに出ようと言い出したのは他の誰でもない私だった。陸上部の1年生仲間3人でエントリーしたのだった。申し込み書には、「3人が何か1つのチームだということがわかるようなものを用意するように」と書いてあった。それを真に受けた私たちは3人ともチャンピオンの白い帽子をかぶっていた。

 開始時間が近づくにつれ人がどんどん集まってきた。とにかくすごい人数であった。そして始まった。

 とめさん(この年までは福沢アナではなく福留アナが司会だった)が轟音と白煙の中登場すると、テンションは一気に急上昇した。「東京に行きたいかー」「おーーーー」というようなやりとりがあった。そして第1問目が出題された。

 「中国地方は、中国というだけあって、鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県のいづれの県も県内のいづれかの都市が、中国のいづれかの都市と姉妹都市縁組みを結んでいる。○か×か?」

 そしてその後、時間にして2分ぐらいだっただろうか・・・・私たちの高校生クイズは終わり、ゲーセンでビリヤードした後、故郷山口県へと帰ったのだった。短い、思いの外短い、高校生クイズだった。

 なお補足ではあるが、この年の高校生クイズの山口県代表は同じ高校の1つ上の先輩だった。